2017年02月24日

552.長町武家屋敷跡(金沢I)

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(大野庄用水付近)

お正月から初詣やえべっさんの話が長くなってしまい、金沢、それもメイン観光地を飛ばしていたので少し戻ります。

老舗記念館から大野庄用水沿いに土塀が連なっています。
丁度、老舗記念館の手前に辻があります。
前日食事に行った「はす家」や「談楽」のある木倉町通りです。
150mほどの長さで香林坊に出る短い通りです。
土塀の手前を流れている、大野庄用水は旧宮腰(金石港)から木材を運ぶため造られ、金沢城築城に大きな役割を果たしたそうです。
そして灌漑・防火・融雪の役割も担っています。

木倉町に材木集積所と材木蔵があり、ここに資材を運び蓄えました。
昔の家に使われている材木は太く長いのに、よくこんな小さな川で運べたものですね。

この付近から西は、長町武家屋敷跡です。
今は点在するにすぎませんが、昔は民家が一軒もない武家屋敷だけの界隈だったそうです。

用水沿いのお屋敷の1つに加賀藩の重臣野村家の屋敷があり、公開されていますが、丁度観光バスが着いたところで、長蛇の列。
入場したところで、ゆっくり見物できそうにもないので諦めました。

さらに用水に沿って歩くと、足軽屋敷がありました。
移築してきたもので、最近まで住宅として使われていたそうです。
他藩の足軽は長屋に住んでいたようですが、加賀藩は一戸建てで、50〜70坪の敷地に20〜25坪の平屋の建物で、明治以降の勤労者住宅のモデルとなったそうです。
内部は、昭和の時代も一般庶民の生活もこんなだったなと懐かしさが感じられます。
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(足軽屋敷)

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(足軽屋敷)

二の橋を渡るとこのあたりは武家屋敷の土塀が続く長町を代表する景観です。
旅行誌などで取り上げられている落ち着いた光景ですが、距離はさほど長くありません。
地位により土塀の高さが違うそうで、暮らしにくそうですね。
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(二の橋の通り)

写真の一番奥鍵状に曲がったところに登録有形文化財の「大屋家」があります。
大変立派な建物ですが公開されていません。
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(大屋家)

加賀藩の武士は、6つの階級があり、大屋家は上から3段階目の平士(家禄80〜2400石)、この階級の武士は1500家ほどあったそうです。

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2017年02月17日

551.廣田神社・大阪浪速区(今宮戎E)

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(廣田神社)

帰り道、えべっさんの日は、難波まで1駅700mほどの区間、車を止めて歩行者天国になります。
そこにはぎっしり露店が並び通るのが楽しみです。
今宮戎神社を出るとすぐにあるのが、廣田神社。
天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)です。
江戸時代、境内は広く鬱蒼とした森での中にお社があり、紅白の萩を植えた茶店があって「萩の茶屋」とよばれていました。
南海本線の「今宮戎」の2つ先の駅名は「萩の茶屋」、その付近に茶屋があったとしたら境内はすごく広いですね。

創建は不詳ですが次のような古い由緒があります。
「神功皇后が新羅遠征の帰途、船が海中をぐるぐる回り前に進まなかったので、占いをたてたところ、天照大神から摂津国廣田の杜に祀れとのお告げがあり、この廣田の地に天照大神の荒魂を祀った」とされています。
主祭神は天照大神の荒魂と言われる撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつ ひめ)というすごく長い名前の神様です。

祭神には賢彦名命(さかひこなのみこと)も祀られています。
この神様はアカエ(エイ)に乗り訪れる智恵の神様です。
病息災・痔疾をはじめ難病治癒にご利益があり、叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願を叶えるといわれており、広く信仰されています。

アカエについては入り口の案内板「わがまち、わがやしろ」に絵と説明文があります。
この神様は、アカエを断って、つまり断食して祈願すると、難病とくに痔病に霊験があらたかだそうです。
アカエの尾には鋭い棘があって刺されると毒によってものすごい痛みがあります。
漁師はアカエを獲るとすぐ尾を根元から切り落とし、これがアカエを断つことにひっかけ、棘に刺された疾患をなくすという信心が生まれたようです。
昔、このあたりは木津の魚市場があるように海辺の漁師町でした。
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(入口の説明板・アカエの話)

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(拝殿)

さて、同名の廣田神社は西宮にもあります。
阪神タイガースが、毎年必勝祈願に訪れるのでよく知られていますね。
この浪速区の神社が旧村社なのに対し西宮は日本書紀にも出てくる旧官幣大社で、旧社格には差があります。
しかし、どちらの神社も主祭神は天照大神の荒魂、あの長い名前の神様、由緒も全く同じです。
さらに大阪の廣田神社の50mほど南に今宮戎神社、西宮の廣田神社の2kmほど南には西宮神社(西宮戎)があり、そっくりです。
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(廣田神社塀に沿った鳥居)

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(赤土稲荷大明神)

大阪の廣田神社は道路との塀沿いに、赤い鳥居が並んでいて進むと社殿の裏に行けます。
そこには独立した入り口もあり、「赤土稲荷大明神」という扁額が掲げられています。
廣田神社の摂社で米倉稲荷大神・楠 稲荷大神・赤土稲荷大神を祀るお稲荷さんです。
随分立派な摂社ですね。 
posted by なつめ at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

550.毘沙門さん(今宮戎D)

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(鐘楼門)

間もなく今宮戎神社という所に、長蛇の列が出来ています。
「えびすさん」までまだ70〜80mあります。
今年はこんなところにまで並んでいるの?
しかしその列は山門の上に鐘楼のある、浪速寺と言う小さなお寺の中に入って行きます。

お寺の周りには「毘沙門天尊」という提灯がかかっています。
ご本尊が七福神の毘沙門さんなのだ!
こんな至近距離で、七福神の「えびすさん」と「毘沙門さん」2神の福の神にお参り出来るのです。

七福神とは大黒天・恵比寿天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊の七柱の神様で、室町時代末期からはじまった、参拝すると7つの幸運を授かり、7つの災難を逃れると言われる民間信仰です。
関西では「商売繁盛笹もってこい!」の、えべっすさんが圧倒的に人気ありますね。

「毘沙門さん」は、他の神様がみなさん和やかな顔をなさっているのに、この方だけ鎧兜を身につけ、仏敵を打ちすえる棍棒を持っている怖い姿の神様です。
仏教の世界観の中心にある須弥山の北方を守る四天王の武神で、四天王としては多聞天と表わされ、独立した一尊の場合に毘沙門天と呼ばれるそうです。

毘沙門天は、インド神話の財宝神「クベーラ」を前身としています。
「クベーラ」は、地下に埋蔵された財宝の守護神ですが、戦闘的なイメージはなく、石像等を見ても実に穏やかなお姿をされています。
「クベーラ」は北を守る神様ですが、インド神話では4方もしくは8方を守る神様がいて、これが仏教の12将神に受け継がれたといわれています。
仏教が中央アジアを経て、中国に伝わると、「毘沙門さん」は武神の姿に変わって行ったようです。

さて七福神の出身地ですが、日本生まれの神様は恵比寿天だけです。
大黒天・毘沙門天・弁財天はインド生まれ、福禄寿・寿老人・布袋尊は中国生まれですから、宝船に乗っている神様は国際色豊かです。
トランプ大統領だったら入国拒否かしら、それとも財宝を積んでいるからウェルカムなのかしら?
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(本堂)

このお寺は摂津88か所28番浪速寺、東寺真言宗のお寺です。
創立は明治年間と新しく、戦災で焼失し寅年の1950年(昭和25年)再建されたそうです。
縁日は寅の日ですが、十日戎の3日間は福寅授与と開運護摩供が行われ、毎年10万人もの参拝客でにぎわうそうです。
写真では混雑を感じませんが、狭い境内は人で一杯で、お線香の紫煙が立ち込めています。

毘沙門天は寅年・寅の日・寅の刻に現れたと言われ、寅が三つそろうと縁起が良いそうで、ネットを見ると浪速寺では、福寅・福袋・福絵馬を授けるらしいです。

黄金色の縞模様の虎さんは「金運の象徴」、虎は一瞬にして千里を行って千里を帰ると言われ、寅の日に財布を買うと出ていったお金がすぐに戻ってくるとも言われています。
私の財布は出て行きっぱなしで、全然帰ってきません。
亥の日に買ったのかな?
posted by なつめ at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする