2017年08月19日

577.今橋と葭屋橋(東横堀川)

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(左は今橋・右は葭屋橋)
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(今橋・葭屋橋付近・・・京阪北浜駅案内図より)

京阪電車天満橋駅から土佐堀通りを西に向かいます。
この道は、江戸時代に京橋から延伸された旧東海道です。
東横堀川に差し掛かるとV字型に橋が掛っています。
やや斜めに進む、広い土佐堀通に架かる橋は「葭屋橋(よしやばし)」、まっすぐ進む狭い方の橋は「今橋」です。
旧東海道は東横掘川の手前で南に折れ、100mほど離れた高麗橋に向かいます。
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(橋中央の親柱)

2本の橋中央の親柱は共通で「今橋」「葭屋橋」の橋名が刻まれています。
道路の拡張によりこのようにくっついた橋になりまいたが、昔は別々の橋でした。
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(今橋の顕彰碑)

今橋の西詰の高欄には顕彰碑があり、次のようなことが書かれています。

『今橋は大阪の陣絵図などに名前が登場することから、豊臣時代すでに架けられていたと推定される。
この地は江戸時代初期頃までは、今橋の北側に町屋はなく浜岸であったが、中期ごろより西詰付近は天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛など有名な両替商が軒を並べ、金融の中心街として繁盛した。
街の発展に伴い京街道(東海道)に通じる東に橋がないと不便なため、新たに橋がかけられたので「今はし」と名付けられたとの説がある。
このころの橋は橋長75.8m・幅員5.5m、町人が管理する町橋としては規模が大きい橋で、橋の袂から尼崎方面への乗合船がでていた。しかし火災被害のため幾度も焼け落ちている。』

さて、「今橋」というと鴻池家(「404.鴻池新田」2014.10.7)ですね。
幕末「日本の富の七分は大阪にあり、大阪の富の八分は今橋にあり」と言われた鴻池家、伊丹で酒造業を始めた初代善右衛門正成は大阪久宝寺町で店を構え、海運業・両替商や大名貸しなど金融業を営みました。
元禄年間(1688〜1703)、三代目善右衛門宗利(1647〜1736)は経済成長に限りが見えてきたので思い切って事業転換を図るため、酒造業と海運業を廃止、金融業と新田開発経営に専念、本店と本邸を今橋に移転しました。
明治時代に入ると、鴻池家は大名貸の貸し倒れに遭い、近代銀行経営参画に立ち遅れました。
鴻池家は橋から今橋通りを400mほど西、現在は大阪美術倶楽部になっている場所にありました。

大阪市コミュニティー協会「橋の史跡めぐり」にもほぼ同じことが書かれていますが、それによると、幕末の『「摂津名所図会大成」に「難波の古図には今橋は描かれていない、元和・寛永ころまで今橋通りの南側だけに町屋があり、北は広い浜岸になっていた」。

東海道が高麗橋まで整備されたのは 慶長20年(1615)、大阪冬の陣が慶長19年、夏の陣が20年ですから、夏の陣が終わった直後です。
元和元年は、慶長20年ですから今橋は、大阪の陣で焼失していたのかしら?

明治初期の今橋は木杭の橋脚が10基程もあり、舟の出入りが多いのにかかわらず支間が狭かったので同14年鉄杭の橋に、そして現在の橋は大正13年に架け替えられました。
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(源八橋付近の砂浜)

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(源八橋付近の砂浜)

写真は、2kmほど上流の源八橋付近の広い砂浜です。
大川は、放水路として新淀川が掘削されるまで淀川本流ですから、大雨のたび砂浜まで水につかり、洪水も度々起こしていました。
下の写真は、湾のように深く入り込んでいます。
秀吉が水を汲んだという「青湾」とか造幣局にも湾のようなものがあり御幸橋を架けたと言われていますので、川浜は真直ぐではなく複雑な形をしていたのかもしれません。

北浜は物資の積み下ろし港として使われていたようですが、湾があったら舟が着けやすいですね。



葭屋橋は、大川からの分流点に架けられ、俗に築地と呼ばれた蟹島遊郭への通路として設けられたもので、この遊郭は天明4年(1744)葭屋庄七らによって、北浜の東端・山の鼻と言われた所に石垣を築き造られました。
蟹島は大川の眺望が良く、料理屋・旅館などが建てられ発展して行きました。
葭屋橋は造成地にわたるための橋だったのですね。

架橋地点は通船が多く、しかも水流が複雑で橋脚にぶつかる事故が多く、文化元年(1804)錦帯橋のように川の中に橋脚を設けない橋に、明治初期にはロープで桁を支える橋に架け替えられ、また市電敷設のため明治44年には鋼板桁に、現在の橋は昭和41年架けかえられたものです。

土佐堀川や東横堀川は、干満差最大2m近くあるという大阪湾の潮の影響も受けます。
現在は東横堀川には高麗橋に水門があって、綺麗な水を取り入れ、満潮時は逆流を防ぎ、川の浄化を図っています。
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(東横堀川高麗橋水門)
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(高麗橋水門・クルーズ船より)

上流側・下流側2基の水門の間に船を止め、水位調整したうえ進行方向の水門を開け船の運航を図っています。

水門は東横堀川に続く道頓堀川にもあります。
淀川の本流で流量が多く、水門のない時代、この辺は川や潮の流れがぶつかり複雑な水の流だったことが予想できます。

posted by なつめ at 13:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

576.天王寺七坂

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(逢坂・一心寺前)

上町台地の夕陽ヶ丘町・伶人町などと、その西にある下寺町の間には急激な高低差があります。
約7000年前縄文時代前期、海面が高かった時代に打ち寄せる波により形成された波食崖です。
下にある松屋町筋は海だったのですね。

この台地と低地を結ぶ7本の坂道が「天王寺七坂」と呼ばれ、親しまれてきた道です。

南から逢坂・天神坂・清水坂・愛染坂・口縄坂・源聖寺坂・真言坂。

一番南の逢坂、聖徳太子建立の四天王寺から合邦ケ辻を下る坂道です。
旧奈良街道で、現在は国道25号線、広い交通量の多い道になっています。
「逢坂の関」になぞられたとも、聖徳太子と物部守屋の2人が信ずる方を比べ合わせた合邦四会に近いので「合坂」と名付けられたなどの説があります。

丁度写真の左手から安居神社に南から入る狭い参道があります。
神社にお参りしてから、境内を北に抜けました。
神社の正面入り口は、西側の松屋町からの急な階段です。

参道の階段を降りると静かな坂道、「天神坂」です。
「安井神社」すなわち「天神さん」に通じる坂道なのでその名がつきました。

後ろの水汲み場は、江戸時代水質の良い上町台地の水を、飲み水として売り歩く「水屋」という商売が盛んで、特にこの付近は「天王寺7名水」という良質の水が湧き出ていて、それを再現した施設です。
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(天神坂)

天神坂の北に清水(きよみず)坂があります。
綺麗な石段の坂ですが、歩幅が合いにくい段です。
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(清水坂)

嘗て京都清水寺のような掛造りの本堂があったようですが、今は墓地になってしまっており、その先に見晴らし台のようなコンクリートと石造りの「舞台」があります。
写真はそこからの街の写真ですが、木造掛造りの本堂がないと趣がないですね。
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(清水寺舞台からの眺め)

つぎの北にある坂は、すでに紹介した愛染坂。
2つの坂の間に現在は大阪星光学園の構内になっていますが、松尾芭蕉・蕪村・魯山人・滝沢馬琴などが訪れたという浮瀬(うかぶせ)亭跡があり、芭蕉の句碑があるそうです。
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(口縄坂)

次の坂は口縄坂。
口縄は蛇のことで、蛇のように起伏があることから名付けられたそうです。
織田作之助の「木の都」という短編小説に登場する坂です。
坂の上に昭和9年まで名門夕陽丘高等女学院があり、作之助はその女学生に淡い愛情を抱きながらこの坂を上り下りした様子が描かれています。
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(源聖寺坂)

次は源聖寺坂です。
お寺にかこまれ土塀が風情ありますが、坂の上の住宅は違和感がありますね。
最後は一番北の真言坂ですが、今回は出掛けませんでした。
いずれ生国魂神社に行った時紹介します。
この坂は天王寺7坂で唯一南北方向の坂です。
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(下寺町)

坂の下、松屋町筋の下寺町は、大阪の陣後、寺院の整理統合がなされ、家康の好んだ浄土宗のお寺は広大な面積を与えられて移転したそうで、道筋には浄土宗のお寺ばかり、25の大きなお寺の土塀が続いています。
posted by なつめ at 15:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

575.船長・第2の人生スタート!

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(パンフレットより)

今年の春リタイアした「船長」、第2の人生いよいよスタート!
四条畷駅前の「パライソ」でお手伝いをしています。
「パライソ」は去年紹介したライブハウス(501.「パライソ」2016.3.20)です。
「船長」は学生時代、その前身「Jazz in Mari」(45.「ライブハウスJazz in Mari」2011.2.25)が四条畷にあったころから、家に帰るよりここから通っていたほど、入り浸っていたお店です。
当時は長髪だったとか、ミュージシャン気取りだったのでしょうが、想像できませんね!
現在お店は、ママ1人で経営していますが、歳をとっているので「船長」をすっかり頼りにしています。
40年余り経ってやっと夢がかないました!

「船長は」専らカフォンを叩いていたのですが、最近ドラムを習い始めました。
昔とった杵柄かどうかは知りませんが、家では雷さんみたいな楽器困りますので、防音装置の施してあるここなら遠慮入りません。
練習し放題です。

店にやってくるお客さんとアラ還の新ユニット、「THE・POSITION」というバンドを組んで、先週土曜日初ライブです。
お客さんは船長のお友達がほとんどで約20人、みなさんとは顔見知りです。
メンバー紹介で、ドラムス「船長」!
ニックネームの由来は、「なつめ」の店で女性客が「船長」の顔を見るなり「キャー!海賊!」。
おまけに「船長」はスカル(髑髏)装飾品が大好き。
豪華客船の船長ではなく、キャプテンキッドのお仲間でが、気がやさしくて略奪はできません。
「なつめ」でつけたニックネーム気に入ってくれたのは嬉しいですね。
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(船長のドラム)

早速ドラムをたたきましたが、ルックスはもう一流のプロ並みです。
「船長」ビジュアル系?
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(四条畷駅前・パライソ)

第2の人生、好きな音楽と楽しい仲間にかこまれて本当に楽しそうです。
「船長」、ほとんど毎晩手伝っていますから、顔を見に行ってあげてください。
「パライソ」は072-813-0553、四条畷駅前近畿大阪銀行向、日祝定休、夕方は7時から営業、ライブやセッションも行っています。 
「THE・POSITION」のライブ3カ月毎に「パライソ」で演奏するそうです。
posted by なつめ at 17:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする